苅谷政生のK・CUBE(改善・改革・革新)で行こう!

(株)K・CUBEコンサルティング-代表者のon-offを綴ります

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海で遊んだ秋真っ只中の日曜日/

今日は一日晴天で、秋真っ只中を感じるいい日曜日でした。

で、月に一度のクラブ(碧南ヨットクラブ)の草ヨットレースに興じてきました。

↓写真はレース中に撮った余所のクラブ(富貴ヨットクラブや衣浦ヨットクラブ)の草レース模様。

HI3E0079_convert_20121021212642.jpg

このように三河湾内では、3月頃から11月頃まで、そここで草ヨットレースが、まさに人知れず展開されています。

釣り好きな方は、仕立て船で釣りをしていて、ヨットが近くをウロウロしていた、なんて憶えがあるかもしれません。

どんなメニューであれ、どんな方法であれ、休みの日のリフレッシュは大事ですね(^^)v

また明日から一週間、よろしくお願いしますm(__)m
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【その2】 ヨットとの馴れ初め

まず【その1】のおしまいにもったいつけてありました、
ヘダー画像のヨットのどこに私が写っているのか特定しておきます。
下の黄色楕円で囲まれたのが、98年、当時30歳の私です。

特定


さて【その2】の本題にさっさと入っていきましょう。

“ヨットについての一般稿”などと大上段にカテゴライズしてしまったため、
【その2】として何を書こうかけっこうプレッシャーで、ズルズルと先延ばし
にしてきてしまいました。

ほとほと安易で恐縮なのですが、
【その2】として、ヨットとの馴れ初めを簡単に触れていきたいと思います。

それは愛知県立半田高等学校ヨット部への入部に遡ります。

愛知県半田市は、南北に伸びる知多半島の中ほど、三河湾に面した都市です。
想像のとおり、ヨット部が存在する高校は珍しく、
当時で愛知県に5~6校でした。

なぜヨット部に入ったかと言えば、
①小・中と続けてきた野球は辞めるつもりだった
②レギュラーだったので補欠は耐え難く、中学にもある競技は対象外とした
③運動部であること

これらを満たすものはいくつもなく、
4つ上の兄がヨット部OBだったという気安さが決め手となり、
ヨット部入部を決めました。


今乗っているヨットは補助機としての内燃機関を積んだ、
外洋航海が可能なクルーザーと総称されるものです。

一方、大学でもそうですが、高校体育連盟で使う競技ヨットは、
1~3人で乗るディンギーと総称される小型ヨットです。
当時は2人乗りの艇種が二つありました。

高校3年の6月まで、インターハイ予選で負けてしまうまで、
ヨット漬けの生活でした。
ヨット漬けと言いながらも、どこかで少し手を抜いていて、
インターハイ予選に負けた時に、そういう自分をけっこう悔やんだものでした。


時は流れ、、
一浪して入学した名市大には体育会ヨット部がありませんでした。
あったら間違いなく入っていたかと言えば、そうとも言い切れないのですが、
そんな悔いの念があったがためか、
ヨットをやれないことに改めて愕然としたものでした。


おもしろいもので、「捨てる神あれば拾う神あり」。
勧誘ビラ配りで一通り押し付けられたビラを一つ一つ見ると、
その中に“ヨット”部への勧誘ビラがありました。

これは体育会ヨット部ではなく、いわゆるサークルとしてのヨット部でした。
しかも、それは医学部5年生の先輩一人のサークルでした。

というのは、
その先輩が、半田市のとある歯科医がオーナーの外洋ヨットチームに属していて、そこへ後輩を引き込もうとするビラだったわけです。

当時、外洋ヨットチームは社会人がもちろん主体ながらも、物好きな学生が少数混ざっている、
というのが割と標準的な姿でした。


その先輩は一年時からそのチームに入っていて、
いつまで経っても下が入らず、
いい加減ペーペー生活から脱出すべく、
その年の春、騙してでもなんとか巧いこと言って、引き込もうとしたわけです。

その企みに引っ掛かった5人の新入生の一人が私だったわけです。
これがヨット、とりわけ外洋ヨットとの縁の始まりでした。

以来20年以上、外洋ヨットに乗ることになったというわけです。

さて、
【その2】を終えようとする端から、「【その3】はどうしよう…(汗)」と。

いつになることやらですが、また【その3】でお会いしましょう。

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【その1】 ブログヘッダー部の画像について

その1、なら“ヨットとのかかわり”あたりから入っていくのが筋かもしれない。が、ここはヘッダー部の画像についてふれていく。

何気ない画像なので、関係のない素材と受け取られても仕方ない。しかし、これは歴とかかわりのある画像なのだ。かかわりどころかデッキ上に乗っているし、見切れているという程度でなく完全に写っている。

では、どのような筋のものかと言うと・・・
ロケーションは?・・・ハワイである。ハワイはワイキキヨットクラブのハーバー内を、補助機で出港していく(帰港してきた?)様子である。
時期は?・・・1998年8月、30歳の時だ。
何でそこにいたのか?・・・『KENWOOD CUP』という世界的レースに参戦していたのだ。
その時の、チームの誰かが陸から撮ってくれたパノラマ写真を活用したものである。

世界的なレースなどと言うと大仰に感じられてしまう。しかしヨットレースの場合、基本的にフリーエントリーで、勝ち抜いて勝ち抜いて残った上澄みの強豪だけが参加するレースはむしろ例外。だから偉業を成し遂げたとか、そんな事では決してない。単にもの好きで参加したというだけだ。

喩えるなら、プロとアマが一同に走る市民マラソンに近い。アマチュアランナーにとって憧れの世界的市民マラソンは『ホノルルマラソン』だろう。同様にアマチュアセーラーにとって憧れの世界的レースが『KENWOOD CUP』だった。(現在はなくなってしまった。)それでも、参加者数としてはプロレーサーの方が多いという点が、『ホノルルマラソン』とは対称的な点ではあるが。

レースは2週間くらいにわたるシリーズレース。お盆休みだけでは足りずさらに一週間有給休暇を合わせ都合16日間ハワイに滞在していた。大企業に勤め、係長手前の何の責任もないお気楽な身分だったからこそできた所業だった。“夢のような時間”というのはこういうものなのかもしれない。

最後にチームと使用した船について。
寄せ集めの混成チームだ。普段は三河湾内のどこかのチームでそれぞれにヨットライフを送っていた者が有志として集まった形だ。
映っているヨットはハワイのとある一個人が所有するヨット。それを20日間ほどチャーターしたのである。その費用は参加メンバーの均等割。いたって庶民的な遊び方である。
蛇足だが、ヨットというとどうしてもハードルが高そうに思われる。中古ヨット市場も整っていて、ピンからキリまでの世界。末端で楽しむなら経済的なハードルはぜんぜん高くはない。このあたりはまた別稿で。

最後に、僕も船上に写っていると言いました。解答は、その2で、ということに。

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