苅谷政生のK・CUBE(改善・改革・革新)で行こう!

(株)K・CUBEコンサルティング-代表者のon-offを綴ります

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | TOP↑

≫ EDIT

祖母のこと②

祖母は1915年(大正4年)生まれの、たいへん頭のいい勝気の強い商売人でした。僕の生家は愛知県半田市の旧国道247号線沿いに緩やかに拡がった商店街の中にあり、うちも“店屋”でした。僕が生まれる前はメリヤス屋で『苅谷メリヤス』という屋号でした。メリヤスと言っても、僕もよく知りませんが、繊維種類の一類型だと理解しています。(間違っているかもしれませんが。)

僕が生まれた昭和42年当時はすでに『苅谷洋品店』になっていました。まぁ、衣料なら何でも扱ってるような、古い町にありがちな“服屋さん”です。ステテコとか売ってる。春先には新中学生に向けた学生服・セーラー服の販売でちょっと繁盛するような、そういう地域に溶け込んだお店でした。メリヤス屋も洋品店も祖父祖母夫妻で始めたもので、母が片手間にそれを手伝ってました。

店舗併設住居で、祖母、両親、長女、長男そして二男の僕と6人の賑やかでガチャガチャした家庭に育ちました。一階のメインの茶の間はもっぱら祖母の部屋でした。自営のトラック運転手だった父がいわゆる婿養子であったためかどうか分かりませんが、両親の居間や寝室は二階にありました。そんなこともあってか、僕ら三人兄弟の遊び部屋は一階の祖母の部屋である茶の間でした。必然、婆ちゃん子になったわけです。ただ、これには婆ちゃんの強烈なキャラクターが大いに関係していたのです。

祖母のこと②、としながら祖母そのものに触れる前に今日はこの当たりで締めることにします。近いうちに祖母のこと③として、いよいよ祖母と僕たち孫どもの日々に触れていきたいと思います。
スポンサーサイト

| 生まれ育った家族 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

祖母のこと①

祖母の末の妹が亡くなったとの連絡がありました。祖母は僕が中3の時に亡くなりましたが、ずっと同居していました。僕ら兄弟は皆“お婆ちゃん子”でした。この度亡くなったという祖母の妹は大阪に嫁いでいたため、僕自身はわずかな触れあいしかありませんでした。にもかかわらずとても親しみを持っていました。品のある大阪弁をしゃべる明るい優しいお婆ちゃんに映ってました。僕の婆ちゃんとはあの世で逢えてるのでしょうか?

祖母の妹の訃報で祖母のことを改めて思い出しました。
また祖母のことも別の機会で触れていきたいと思います。

| 生まれ育った家族 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT |

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。