苅谷政生のK・CUBE(改善・改革・革新)で行こう!

(株)K・CUBEコンサルティング-代表者のon-offを綴ります

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半田の横顔~NHK名古屋制作『金とく』から/

さる27日(金)に東海(北陸もか?)地方で放送された、名古屋放送局制作の『金とく』(PM8:00~)が半田を紹介していました。録画をしてまで視てみました。

そこで取り上げていたアイテムは大方、これまでも似たような番組でさんざん紹介されてきたものでした。ですが、中には初めて視たものもあり、しかも恥ずかしながら、それまでまったく知らなかったものもありました。

紹介されたアイテムを列挙しますと、

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ゴールデンウィークの半田の祭り風景/

間の抜けたエントリーになりますが、2011年GWの半田の祭り風景を5枚ほど。

うち4枚は、『潮干祭り』で有名な亀崎の潮干祭り当日の早朝の様子。

【半田の祭りについて】
半田市には31台の山車がある。
3月中からGWにかけ毎週末のように、どこかの地区で山車祭りが行われている。
亀崎地区の『潮干祭り』は中でも奇祭として有名で、山車を海に曳き入れる。


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半田を紹介する画によく使われる、『ミツカン酢と前を流れる運河』。
“鯉のぼり”は3月から5月くらいの期間、あげられてる。

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愛知県半田市港本町(2)

①で、僕の育った町は旧国道247号線沿いに緩やかに拡がった古い商店街であったことを書きました。

半田市港本町という名のとおり、海(半田港、あるいは半田運河)まで自転車で5分もかかりません。昨今、半田は観光資源として『蔵』と『山車』を前面に出し『蔵の町』としてブランディングしてきています(正直言って今一つパっとしませんが)。その象徴的な蔵は、半田運河沿いに立ち並ぶミツカン酢の蔵で、その辺りも自転車で5分圏内というところです。

つまり、
・旧国道247号線沿いにあって車の往来が多く騒がしい町
・港に近い水辺の町
という地理的な特徴がありました。これに加え、
・店舗兼住居型の昔ながらの商売屋が醸すザックバランさ
に覆われた人と人が近い町でした。


また、少し触れましたが、半田には31台の山車があり、3月中旬から5月の連休まであちこちで『山車祭り』が展開されます。通った小学校は一学年300人でしたが、その小学校区だけでも6つか7つくらいの“山車組”に分かれ、それぞれに重厚な山車があります。その小学校区の祭りは4月2週目の土日とだいたい決まっていて、新学年が始まって早々の祭りはゴールデンウィークに先立つ心躍るイベントでした。通常、土曜日は4時限の半日授業だったのですが、祭りの土曜は2時間授業で、10時過ぎにはもう帰ることができました。子供にとっては授業短縮自体がワクワクの非日常の演出でした。基本的には小学校区ごとに祭りは行われますが、5年に一度の割合で秋に31台が市役所近くに一斉に会する『秋祭り』も行われてきています。


①②を通して浮かび上がってきたキーワードは
旧国道、車の往来、商店街、港(運河)、蔵、山車祭り、ザックバランな商売人気質、・・・といったところです。
②はこんなところにしまして、また③へと続けていきます。

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愛知県半田市港本町(1)

愛知県半田市港本町。これが私の生まれ育った町です。「祖母のこと②」でも書きましたが、旧国道247号線沿いに緩やかに拡がった商店街です。緩やかに拡がった商店街とは、アーケードで覆われた道の両側が基本的にすべて商店、といった意図的集積による商店街と対極のイメージのものです。民家の間にポツリポツリと住居兼店舗が点在しているものです。うちは信号交差点の一角なのですが、残りの3つの角のうち1つは下駄屋、1つは画材屋、しかしもう1つは住居というように。

「隣組」というコミュニティ制度も脈々と生きていました。5~6軒で1つの「隣組」を組成していたと思います。弔事などがあると、その隣組の主婦連が助け合うような女衆を主体として仕組みだと理解しています。(違うかもしれませんが)。祖母が亡くなった時も、母が亡くなった時も、その隣組の女衆がいろいろと働いて下さいました。


うちは洋品店でそうだったのですが、日用品を扱っている店には近所の人がチョクチョク買い物にもやってくるわけで、自ずと小さい時から見知ってもらえます。そうして商売屋の子供は店頭にいることで近所の人に可愛がってもらえたものです。

もし僕が住宅街の中の家庭に育っていたら?などということはこうして初めてイメージしようとしてみますが、まったくイメージがわきません。少なくとも大いに違った個性になっていたのだろうとは想像できます。今はもう10年以上離れてしまっていますし、人と比べて何か特別な郷土愛なるものがあるわけではありません。ただ、やはり好きです。

このブログで、このカテゴリーで、生まれ育った町を掘り起こすことで新たな気づきも生まれるかもしれません。それはそれで楽しみなことです。

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