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【その2】 ヨットとの馴れ初め

まず【その1】のおしまいにもったいつけてありました、
ヘダー画像のヨットのどこに私が写っているのか特定しておきます。
下の黄色楕円で囲まれたのが、98年、当時30歳の私です。

特定


さて【その2】の本題にさっさと入っていきましょう。

“ヨットについての一般稿”などと大上段にカテゴライズしてしまったため、
【その2】として何を書こうかけっこうプレッシャーで、ズルズルと先延ばし
にしてきてしまいました。

ほとほと安易で恐縮なのですが、
【その2】として、ヨットとの馴れ初めを簡単に触れていきたいと思います。

それは愛知県立半田高等学校ヨット部への入部に遡ります。

愛知県半田市は、南北に伸びる知多半島の中ほど、三河湾に面した都市です。
想像のとおり、ヨット部が存在する高校は珍しく、
当時で愛知県に5~6校でした。

なぜヨット部に入ったかと言えば、
①小・中と続けてきた野球は辞めるつもりだった
②レギュラーだったので補欠は耐え難く、中学にもある競技は対象外とした
③運動部であること

これらを満たすものはいくつもなく、
4つ上の兄がヨット部OBだったという気安さが決め手となり、
ヨット部入部を決めました。


今乗っているヨットは補助機としての内燃機関を積んだ、
外洋航海が可能なクルーザーと総称されるものです。

一方、大学でもそうですが、高校体育連盟で使う競技ヨットは、
1~3人で乗るディンギーと総称される小型ヨットです。
当時は2人乗りの艇種が二つありました。

高校3年の6月まで、インターハイ予選で負けてしまうまで、
ヨット漬けの生活でした。
ヨット漬けと言いながらも、どこかで少し手を抜いていて、
インターハイ予選に負けた時に、そういう自分をけっこう悔やんだものでした。


時は流れ、、
一浪して入学した名市大には体育会ヨット部がありませんでした。
あったら間違いなく入っていたかと言えば、そうとも言い切れないのですが、
そんな悔いの念があったがためか、
ヨットをやれないことに改めて愕然としたものでした。


おもしろいもので、「捨てる神あれば拾う神あり」。
勧誘ビラ配りで一通り押し付けられたビラを一つ一つ見ると、
その中に“ヨット”部への勧誘ビラがありました。

これは体育会ヨット部ではなく、いわゆるサークルとしてのヨット部でした。
しかも、それは医学部5年生の先輩一人のサークルでした。

というのは、
その先輩が、半田市のとある歯科医がオーナーの外洋ヨットチームに属していて、そこへ後輩を引き込もうとするビラだったわけです。

当時、外洋ヨットチームは社会人がもちろん主体ながらも、物好きな学生が少数混ざっている、
というのが割と標準的な姿でした。


その先輩は一年時からそのチームに入っていて、
いつまで経っても下が入らず、
いい加減ペーペー生活から脱出すべく、
その年の春、騙してでもなんとか巧いこと言って、引き込もうとしたわけです。

その企みに引っ掛かった5人の新入生の一人が私だったわけです。
これがヨット、とりわけ外洋ヨットとの縁の始まりでした。

以来20年以上、外洋ヨットに乗ることになったというわけです。

さて、
【その2】を終えようとする端から、「【その3】はどうしよう…(汗)」と。

いつになることやらですが、また【その3】でお会いしましょう。

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