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たった一人の30年戦争/小野田寛郎

たった一人の30年戦争たった一人の30年戦争
(1995/08)
小野田 寛郎

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【ひと言紹介】
・1980年頃の漫才ブーム、B&Bのお決まりのギャグに、「小野田さ~ん」というのがあったが、若い人は知らないだろう。小野田寛郎とは、戦後も30年間、フィリピンのジャングルで“一人”戦争を続けていた旧日本兵である。
・この本は“戦後50年企画”として東京新聞等で100回にわたって連載された『この道』を単行本化。連載時著者は73歳。

【抜粋】


・1942年20歳で徴兵、陸軍中野学校に送られる。
・陸軍にはその中身が公になってない二つの学校→中野学校と習志野学校。
→前者はスパイ養成機関。後者は化学、生物兵器の専門家育成機関。
→中野学校の戦陣訓は“生きて虜囚の辱めを受けず”でなく“死ぬなら捕虜になれ”。

・44年12月「フィリピン‐ルバング島での遊撃(ゲリラ)戦指導」を使命に現地に渡る。

・45年3月初め、沖合い米艦艇が総攻撃され、米兵の上陸を許す。
→200人いた日本軍は40人程度に壊滅。将校は小野田一人に。
→3人一組での分散潜伏へ。ここから島田庄一伍長35歳、小塚金七一等兵24歳と共に氏の30年戦争が始まる。
→8月、日本が無条件降伏。島に投降を促すビラが撒かれるが、誰もそれを信じず潜伏継続。

・46年、別組で潜伏していた赤津一等兵が仲間二人を失って加わり4人組に。
→他の生き残った日本兵は全員投降。4人だけが抵抗、潜伏。

・49年、赤津一等兵が4回目の行方不明。半年後の50年に投降。
・赤津投降により、再び当局からの投降を促す動きが活発化。
→島田、小塚の二人に、自身が背負ったスパイとしての秘密任務を話す。二人から「5年でも10年でもやる」と同調を得る。

・54年、島田伍長が戦死。
→この報を得た厚生省担当官と小塚の弟、氏の兄がルバング島へ渡る。
→家族直筆で投降を促すビラを撒く。このビラも手にしたが、「怪しい、偽者だ」と疑い黙殺。

・59年まで断続的に続いた捜索活動も実らず捜索打ち切り。
→日本政府から“戦死”と二度目の認定を受ける。
・60年、島に潜み始めてから初めて読んだ日本の新聞で、日米安保などの情報を入手するも“偽情報”と決めつけた。

・72年、小塚一等兵戦死。
→日本国民は、小野田はまだ生きている、と知り再び捜索活動が活発化。

・74年2月、“和歌山ポイント”と呼んでいた拠点に一人の青年、鈴木紀夫がテントを張って小野田が近づいてくるのを待っていた。
→3月9日、上官である谷口義美少佐から直接口頭で任務解除を下達され、遂に氏は投降し“終戦”した。

・鈴木紀夫という青年は、驚くことに、小野田とは何の関係もない“タダの人”。
→当時25歳前後のフーテン者。小野田と接したいというただその純真な気持ち一つで、危険も顧みず小野田にアプローチを敢行し、見事に小野田を終戦に導いた。
→その後、冒険家活動に向かうが、38歳の時にヒマラヤで遭難し死去した。

・3月12日帰国、記者会見。
→30年間ジャングルで暮らしたことについて問われ
「若い、勢い盛んなときに、大事な仕事を全身でやったことを幸福に思う」と。
→そのまま3月末まで入院。たくさん届く手紙の中には“部下の死を踏み台に生還するとは何事か、自決せよ!”といった心無いものも。

・退院後に乗ったタクシーの運転手との可笑しな会話。(運転手は小野田と認識していない)
(運転手)
「若いもんはダメだと言うが最近のオヤジがだらしないんだよ。戦争に負けて自信をなくしちゃってる。もっとバンバン教育しなきゃ」。
(小野田)
「それは違うよ、戦前のもんが立派なら、負ける戦争なんかしなかったんじゃないですか?」。
(運転手)
「あんたもダメおやじの一人だね。少しは小野田さんを見習ったらどうだ?」。


【所感・解釈】
・帰還された74年3月と言えば、ボクが小学校に上がる直前。無論、当時その大ニュースの“大きさ”や意味は分かっていなかったろう。しかし、同時代の出来事としては認識できていた。だからこそ中学1年の時の漫才ブーム時、B&Bのギャグ-「小野田さーん!」も大いに笑えたものである。

・無邪気な子どもの目には、高度成長期に帰ってきた小野田さんはまさしく浦島太郎状態の頓狂なオジサンにしか映っていなかった。この本を読めば、小野田さんという人の持つ、智恵、生命力、意志などの深さ、強さ、に痛み入る。「不撓不屈」とは、この人の戦いにこそ相応しい言葉だと思う。

・本では後日談も続く。浦島太郎状態の氏は、近代化・現代化した日本という国とその人々に親和できずに苦しみます。そこまで読むと、小野田寛郎という一人の人間の数奇な人生に打ちのめされる思いにも。そして「幸せって何だろう?」、なんて哲学的な問いをつい発したくなります。

・Wikiでも詳しくあるので、もっと知りたい方はそちらも。→小野田寛郎



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