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なぜ君は絶望と闘えたのか/門田隆将

なぜ君は絶望と闘えたのかなぜ君は絶望と闘えたのか
(2008/07/16)
門田 隆将

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【ひと言紹介】
本村洋ときいてピンとくる人は少ないかもしれません。しかし、99年に起きた光市母子殺害事件の被害者遺族、と言えば多くの人が分かるはずです。本書は、事件と被告少年と日本の司法と闘った本村氏の強靭な姿を克明に描いています。

【抜粋】
・つまみ食い、というわけにはいきません。大きな流れをご紹介します。
・事件から約一年後00年3月22日、“無期懲役”判決が山口地裁で下る。これを受けた直後の記者会見で本村氏は「司法に絶望しました。控訴、上告は望みません。早く被告を社会に出して私の手の届くところに置いて欲しい。私がこの手で殺します」と報復殺人の予告をしました。

・会見後、検察庁に集まった遺族に対し吉池検事が「こんな判決を許してはいけない。司法を変えるために一緒に闘ってほしい」と本村に。本村は吉池の言葉に“検事の使命感”を感じ、報復感情だけに囚われていたさっきまでの自分から解放され、家族の死を無駄にしないために前を向きます。

・反社会的発言にもよらず、社会は本村を擁護し応援しました(本村はこの日、ニュースステーションから生出演依頼を受けており、吉池検事の言葉によって上京する決心をし空路東京へ向かう。その機内でCAから“CA一同の気持ちです”とお守りをもらっている)。

・彼の声明は冷徹ではあるが彼の家族への深い愛情の裏返しであり、狂気ではなくむしろ真っ当な正気であることをその言葉から社会が感じ取ったからに他ならないと思いました。

・司法において不当に扱われる被害者遺族の現状を、抑制的にしかし理路整然と訴えたNステでの本村の言葉が小渕首相を動かします。その日、小渕は記者団に「無辜の被害者への法律的救済がこのままでいいのか?本村さんの気持ちに政治家として応えなければいけない」と発言。
・小渕はこの11日後の4月2日、病に倒れ5月に不帰の人となるが、その死の二日前、内閣提出の「犯罪被害者保護法」「改正刑事訴訟法」などの法案が国会を通過。

・吉池の言葉に力を得て控訴するも02年3月、広島高裁にて一審を支持し控訴棄却。その判決文では厳しく指弾しているものの、“永山基準”というものが司法界に重くあり、“無期懲役”しか高裁には下せない、といった感を呈した。
・本村はやるせない怒りと共にこれが日本の司法なのだと諦観する。現に、直後の会見では一審の時のそれとは打って変わって「裁判官も人間。我々の気持ちも十分わかった上であの判決を出したのだと思う。…。判決には納得していないが裁判官に不満はない」と。

・本村ら「全国犯罪被害者の会」の活動によって認められるようになった“被害者遺族の意見陳述”の初めてのそれは、くしくも控訴審-広島高裁での本村による被害者遺族の意見陳述でした。
・そこで本村は、きっとこの先上告してさえも死刑は下されない可能性の方が高い、という見通しを持った上で被告に対し、「どんな判決が下されようが、君の罪は万死に値する。そのことを忘れないで欲しい」と。

・本村らの動きは小渕に続き小泉首相をも動かします。03年7月、「全国犯罪被害者の会」を代表して代表の岡村弁護士、本村ら3名を官邸に招き会談が実現。本村の手短ながら端的で強く熱く魂のこもった訴えによって、小泉はその場で臨席させた保岡議員に“すぐにチームを立上げよ”と。
・この動きによって「犯罪被害者基本法」が議員立法で成立するなど、いっそうの被害者遺族救済への改革を促進させました。

【所感・解釈】
・言葉がありません。感動を禁じえません。「強くありたい」と切望する方は是非お読みください。
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