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俺は、中小企業のおやじ/鈴木修

俺は、中小企業のおやじ俺は、中小企業のおやじ
(2009/02/24)
鈴木 修

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【ひと言紹介】
・軽四で独自路線を突っ走ってきたスズキ。トヨタはじめ他の国内各社と比べその経営は明らかに異彩を放つ。そのわけがよく分かる。それは良くも悪くも「スズキ自動車=鈴木修」だからだ。そしてこの著作タイトルの意味合いもよく理解できてくる。


【抜粋】
・58年‐28歳、入社。新人研修後企画室に配属されるも羽に衣着せぬ直言で周囲から反発され浮いた存在に。
・61年、担当専務に試される形で豊川新工場建設の責任者に。10名程の若手チームで期待以上の成果に。
・63年、取締役に。66年米ロスのオートバイ販売子会社USスズキに出向。USスズキは赤字垂れ流し状態に。


・68年、USスズキで10億の赤字を作って帰国、常務ながら実質左遷的な東京駐在に。
・東京時代、ホープ自動車社長小野氏と出会う。ホープで作っていた軽四駆の製造権を譲ってもらうことに。
・70年、ホープの軽四駆を改良革新してジムニー誕生。本社の懐疑を尻目に大ヒット車に。米での失敗に一矢報いる。
・76年、軽シェアは15%程度まで急落し、軽四はもう終りと観られ軽業界全体が沈滞したムード。
・一方、軽自動車の上限360cc→550cc改正に際し、新規格エンジン開発に失敗。スズキ自身も一層沈滞ムードに。


・77年、二代目社長俊三(義父)、初代社長(義祖父)三代目社長(義叔父)が相次ぎ死去。
・78年‐48歳で四代目社長就任。
・年内の発売予定でアルトの開発が進んでいたが、パっとしないコンセプトに直感的に“発売延期!”と。アルト投入で業界全体の浮揚を図ろうと考えていたためコンセプト醸成に拘った。


・82年、“どんな国でもいいから1番になって社員に誇りを持たせたい”と、インド政府の“国民車構想パートナー募集”に応募。締め切られていたが粘って3回目で受け付けてもらう。
・インド政府調査団の訪日連絡。調査日程とGMとの交渉渡米が重なる。羽田に向かう途中帝国ホテルで会談を調整。30分のつもりが氏自身入れ込み3時間の会談に。熱心と本気が伝わり、パートナーに選ばれる。


・85年、伊藤忠駐在員が国民車構想を持つハンガリー政府に“スズキは?”と。91年ハンガリー進出に。


【所感・解釈】
・著者に『俺は中小企業のオヤジ』と言わしめるのは謙遜や衒いではない。それは以下の理由による実感のようである。
→トヨタ等の大手に比べ工場的な生産現場
→同様に中小企業的なマネジメント
→ガバナンスの弱さ
→婿ながら同族経営者であること
→売上3兆円といっても付加価値は5000億程度に過ぎないという認識、など。

・2000年‐70歳、専務で娘婿の小野浩孝を後継と決め、戸田社長‐鈴木会長体制に。ところが07年、小野専務が病に倒れ早世してしまう。08年、03年から社長だった津田氏も健康上の理由で辞任。これを受け著者は兼任する形で再度社長に。

・著者自身が吐露しているが、スズキの最大の課題は後継社長選びだと。

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