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「好き」ということの重要性(昨日の続き)

(昨日の続き)

さて、どうしたら面白さと出会えるか?

まず、人が何かを面白いと感じる普遍的要素を考えてみることが起点だろう。

・新奇なことに出会った時
・分からなかったことが分かった時
・努力が実った時
・達成感を味わった時
・他者から認められた時
・他者と協働してステップを乗り越えた一つ一つの瞬間
・狙ったことや仮説が的中した時
・誰かが喜んでくれた時
・よく知っている人の知らなかった側面を垣間見た時
・自分なりの思惑やシナリオを思い描いている時

などなど。
案外たくさんありそうだ。

人それぞれに多少の濃淡の違いはあれど、上に挙げたような事柄は誰にとっても嬉しく楽しく面白いことだろう。

例えば僕は小中の7年間、野球にどっぷり浸っていた。
昨日の部分で書いた好きな対象との関わりで言えば、まず“好き”があってずっとやっていたことだ。
嫌々親に押し付けられ始めたことではない。

小学校6年間、ソロバン塾と書道塾にも通っていた。
こちらは行きたいとひと言も言わなかったと思うが、親同士の思惑で友達と揃って入れられた。


ソロバンは下手だった。
3級を3回目くらいでやっとこさ合格し、6年生の一年間、2級を練習したものの合格できなかった。
気の合ったヤンチャ仲間もいた。直ぐにゲンコツを落とす怖い女先生も嫌いでなかった。
だからソロバン塾という場は好きだった。
でもソロバン自体は最後まで好きになれなかった。


一方の書道。こっちはけっこう上手かった。
塾の厳粛な雰囲気や、墨を磨る工程からやらなければいけなく長時間正座を強いられること。
そういった環境は好きではなかった。先生一人一人とも心は通わなかった。
ただ、少しばかり上手だったため先生たちから認められていることは子ども心につかみ取れた。
それは小学生のプライドを十分に刺激した。
だから書道自体を好きになっていった。



テーマを思い出そう。
好きでもないことをやらなければいけないことが多い。
むしろはじめから好きなことに向かえる人など少数派だ。
なら、どうしたらやっているうちに“好き”になってしまえるかだ。

なぜ“好き”にならなければいけないのか?
「好きこそものの上手なれ」ということに期待したいからだ。

もちろん、僕の少年時代の書道を好きになっていったプロセスは意識的、意図的なものではない。
つまりマネジメントしたものではない。子どもがそんなことをしていたらさぞかし嫌なガキだ。


今、大人として考えると、そうした好きになるための自己マネジメントはある程度可能なのだと思える。
先に挙げた、面白みの本質に遭遇できるような仕掛けを自らセットしていけばいいのではないだろうか?
大きなハードルである必要はない。少しの努力で越えられそうなハードルでいいはず。

「好きこそものの上手なれ」に期待して。

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